天草の島々は過去1億年の地球の歴史を記録しており、その成り立ちは一言では語ることはできません。天草諸島がどのようにして形成されたのか、異なる4つの時代を背景にした11の物語で解説します。


地質時代とは?

地球誕生から人類の歴史以前の時代のことを地質時代といいます。地球の約46億年の年齢から考えると、人類の歴史はわずか0.1%未満なのです。

地質年代表


※各サイトの番号は、『天草ジオパーク「見どころ」一覧』の番号に対応しています。
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第3章火山と地殻変動

新生代新第三紀は、九州から瀬戸内海沿岸地域で活発な火成(かせい)活動が起きた時代です。また、この時期に地殻変動も起き、天草地域の(※)褶曲(しゅうきょく)構造が形成されました。これが天草諸島の原型をつくっています。※褶曲構造:地層が周りからの強い圧力を受け、しわのように曲がること。

第3章に関する「見どころ」(サイト名をクリックすると、説明のページに移動します。)

1 天草砥石の露頭[1億年の大地の記録]

2 湯島層の化石と玄武岩[1億年の大地の記録]または[豊富で多種多様な化石]

3 高杢島[1億年の大地の記録]

8 獅子吼岬と海域公園[1億年前の大地の記録]または[豊かな生態系]

11 権現山玄武岩[1億年の大地の記録]

22 まぐろ石(真黒石)の浜[1億年の大地の記録]

23 東禅寺の灰石露頭[1億年の大地の記録]

24 倉岳山頂の貫入岩[1億年の大地の記録]

26 白岩崎[1億年の大地の記録]

34 烏峠展望所[風光明媚な島の景観]

36 鬼海ヶ浦の地層と景観[風光明媚な島の景観]

39 阿村の住吉神社の夫婦岩[地下資源と石文化]

48 小ヶ倉観音[地下資源と石文化]

52 御領凝灰岩の風化地形と石仏群[地下資源と石文化]

54 天草陶石採石跡の露頭[地下資源と石文化]

ストーリー7あまくさ陶石を生んだ火成活動と褶曲の形成

新生代中新世のはじめ頃(約2,000万年前)、アジア大陸の東岸では日本海が開きはじめ、九州の大地は横からの圧力で、これまで堆積した地層が隆起・傾動し、天草地域の大きな褶曲(しゅうきょく)構造を生み出したと考えられます。天草地域では1,900万年前から1,300万年前にかけて、富岡(とみおか)半島と天草上島では花崗閃緑岩類(かこうせんりょくがんるい)が貫入し、また、天草下島西海岸では陶石を生む岩脈と熱水活動が継続して起き倉岳(くらたけ)ができます。その後1,000万年前から700万年前の期間は、冷え固まると黒色になる性質のマグマが活動しました。

あまくさ陶石の写真
【天草陶石】

ストーリー8おおやのじま・ながしまの火山活動とさいつ層の形成

新生代鮮新世の約400万年前から約300万年前、大矢野島(おおやのじま)と鹿児島県の長島(ながしま)では火山活動が活発に起きていました。大矢野島周辺では飛岳(ひだけ)・柴尾山(しばおやま)・白濤(しらと)・大山(おおやま)・大矢野岳・高杢島(たかもくじま)などに代表される小火山が形成されています。同じ頃、天草下島の南方に位置する長島の火山活動も活発で、噴出した岩石は牛深(うしぶか)地域南部の下須島(げすじま)まで到達し、法ヶ島(ほうがしま)の獅子吼岬(ししぼえみさき)にその一部を見ることができます。天草下島の北部では火山起源の土砂と動物・植物(メタセコイヤ、ツゲ、ブナ、カバノキの仲間)が河川や湖に堆積し、佐伊津層(さいつそう)が形成されました。この佐伊津層がつくりだした平坦面は、現在の天草空港として利用されています。

あまくさ空港の写真
【天草空港】

ストーリー9阿蘇火砕流の到達

約9万年前、阿蘇山は4回目の大規模な噴火活動を起こしました。そのとき流れ出した火山ガスと岩石片からなる火砕流堆積物(阿蘇-4)は有明海を横断し、天草下島まで到達しました。

とうぜんじのはいいしろとうの写真
【天草市五和町(いつわまち):東禅寺の灰石露頭。阿蘇-4火砕流堆積物が地層となっている】


第4章人の定住とあまくさしょとうの誕生

第4章に関する「見どころ」(サイト名をクリックすると、説明のページに移動します。)

27 永浦島のハクセンシオマネキ生息地[豊かな生態系]

28 千巌山展望所[風光明媚な島の景観]

31 高舞登山展望所[風光明媚な島の景観]

32 白嶽湿地[豊かな生態系]

37 ミナミハンドウイルカの生息海域[豊かな生態系]

38 富岡半島の砂州と砂嘴[風光明媚な島の景観]

40 灰窯(ひゃーがま)跡[地下資源と石文化]

42 山口の施無畏橋[地下資源と石文化]

43 楠浦の眼鏡橋[地下資源と石文化]

47 棚底の石垣群とコグリ[地下資源と石文化]

50 下田温泉[地下資源と石文化]

51 宮地浦湾の仕切り網[地下資源と石文化]

ストーリー10ありあけかいとやつしろかいの形成と人の定住

約2万年前の最終氷期、現在の有明海(ありあけかい)と八代海(やつしろかい)周辺の地域は陸地であり、今の秋田県や青森県のような涼しい気候でした。この頃から天草地域では人が住んでいた証拠である石器などが見つかります。約1万年前になると、地球全体が徐々に温暖化することによって海水温が上がり、有明海と八代海にも海水が浸入し始めます。約5,000年前のいわゆる縄文海進時代には現在よりもっと内陸まで海が広がっていました。その後、海水面が少し低下して、現在の海の水位になりました。

かいしょくがいの写真
【宇城市三角町(みすみまち)の海食崖(かいしょくがい)。海水面の変動で地層が削られてくぼみができた。】

ストーリー11地下資源の利用イルカとの共存

18世紀中頃、肥前の国藩士松室五郎左衛門が伝えた石工技術により、多くの石工が生まれ、地元の下浦石(しもうらいし)を利用した石橋が天草の交通の要所に作られていきました。国指定重要文化財の祇園橋(ぎおんばし)は、下浦石を利用した建造物の代表例です。また、天草陶石を用いた磁器生産は、内田皿山(うちださらやま)窯跡や下津深江(しもつふかえ)窯跡などで17世紀中頃に天草下島の北部から西海岸にかけて行われました。豊富な産出量と良質さを兼ね備えた天草陶石は、磁器生産の中心地である佐賀県有田や京都の清水焼にも原料として出荷されるなど日本の窯業を支えています。明治時代になると本格的な石炭採掘が行われました。天草地域の石炭の特徴は、全国でもまれな無煙炭(むえんたん)と呼ばれる煙が少なく高カロリーの熱量を発する石炭にあります。天草炭鉱は1856年に現在の苓北町から熊本へ石炭が積み出された記録が最も古く、最後の坑口が閉鎖する1975年までの約120年間にわたる歴史がありました。そして現在、サンゴが生育する温暖な海と、豊富な魚を求めてイルカが住み着く豊かな自然環境があり、緑豊かな島々に人々の文化が栄えています。

ぎおんばしの写真
【祇園橋※橋の上から撮影】