地下資源と「石」文化

1億年の大地の記憶を宿した天草では、その豊かな地下資源がもたらす独特の文化や生活を継承しています。島で暮らす人々を支える文化・産業について見てみましょう。

地下資源って何?

地下資源とは大地の下に埋蔵されているもので、人間生活に有益となる鉱物や資源をさしています。陶石、砥石、温泉などといったマグマ活動によってもたらされたものと、石炭や下浦石(しもうらいし)など堆積した地層から得られるものが、天草の代表的な地下資源です。

※石に関するコラムをこのページの下に掲載しています。
あむらのすみよしじんじゃのめおといわの写真

(39)阿村の住吉神社の夫婦岩(あむらのすみよしじんじゃのめおといわ)

住吉神社前の海岸にある夫婦岩は、約9万年前に阿蘇火山が4回目の大きな噴火をしたときにこの地まで到達した、阿蘇―4火砕流堆積物からできています。大きな岩は高さ約5メートル、周囲約16メートルあります。小さな岩はその形から「ゴジラ岩」とも呼ばれています。
【所在地】上天草市松島町
【天草誕生のストーリー】第3章
ひゃーがまあとの写真

(40)灰窯跡(ひゃーがまあと)

生石灰(せいせっかい)をつくる窯の産業遺構です。生石灰は、窯に石灰岩と石炭を共に入れ、高温で焼いたものです。姫戸(ひめど)運動広場駐車場付近にある窯跡は、姫戸町に残る灰窯の遺構で最も古いものと推測されています。石垣には姫戸町の東岸に露出する変成岩類(結晶片岩)が使われています。
【所在地】上天草市姫戸町
【天草誕生のストーリー】第4章
ぎおんばしの写真

(41)祗園橋(ぎおんばし)

1832年に架けられた石橋で、国指定重要文化財。石造桁橋(せきぞうけたばし)としては日本最大級で長さ28.6メートル、幅3.3メートル。全国的にも珍しい45脚の石柱によって支えられている多脚式です。この石橋は、天草市下浦(しもうら)地域から採掘された砥石層(といしそう)の砂岩を、下浦の石工が加工したものです。
【所在地】天草市船之尾町
【天草誕生のストーリー】第2章
やまぐちのせむいばしの写真

(42)山口の施無畏橋(やまぐちのせむいばし)

1882年に架けられた下浦石(しもうらいし)を石材とする熊本県指定文化財の石橋です。橋の長さは22.73メートル、幅3.24メートルの壁石が薄い単一アーチの眼鏡橋です。橋のたもとに架橋碑が現存しており、貴重な石橋です。
【所在地】天草市本渡町
【天草誕生のストーリー】第4章
くすうらのめがねばしの写真

(43)楠浦の眼鏡橋(くすうらのめがねばし)

熊本県指定文化財である石橋。1878年に完成したアーチ型の石橋で、長さ26.33メートル、幅3.05メートルの優美な姿をしています。この橋には下浦石(しもうらいし)が用いられ、下浦の石工のよってつくられています。
【所在地】天草市楠浦町
【天草誕生のストーリー】第4章
うしぶかたんこうえぼしこうあととといしそうのろとうの写真

(44)牛深炭鉱烏帽子坑跡と砥石層の露頭(うしぶかたんこうえぼしこうあととといしそうのろとう)

海からぽっかりと口を開けている烏帽子坑跡は、明治30年に数年間採炭された坑口で、天草の石炭産業を象徴する遺構の一つです。遺構の後ろの地層は、砥石層(といしそう)の砂岩です。良質な石炭はこの砥石層に胚胎していることが分かっています。
【所在地】天草市牛深町
【天草誕生のストーリー】第2章
うしぶかたんこうこめぶちこうあとの写真

(45)牛深炭鉱米淵坑跡(うしぶかたんこうこめぶちこうあと)

天草地域で採炭される石炭は、良質な無煙炭(むえんたん)であると知られていました。現在では唯一、牛深炭鉱の米淵坑付近に(※)夾炭層(きょうたんそう)が観察できます。 ※夾炭層:石炭の層をはさむ堆積層のこと。植物由来の炭が濃集する環境が地層に残されたもの。
【所在地】天草市牛深町
【天草誕生のストーリー】第2章
おにきたんこういこうの写真

(46)魚貫炭鉱遺構(おにきたんこういこう)

規模の大きな炭鉱で、明治はじめ頃から昭和48年まで操業されていました。魚貫地区では、炭鉱住宅の面影や、石炭を海上へ積み出す際に使われた設備の遺構が残されています。
【所在地】天草市魚貫町
【天草誕生のストーリー】第2章
たなそこのいしがきぐんとこぐりの写真

(47)棚底の石垣群とコグリ(たなそこのいしがきぐんとこぐり)

この地域の家を取り巻いている防風石垣群は、扇状地を構成する(※)安山岩質(あんざんがんしつ)の土石を利用したもので、独特の文化的景観を醸し出しています。さらに棚田には「コグリ」と呼ばれる水路が掘られています。 ※安山岩:地表に出てきたマグマが冷え固まった岩石のひとつ。灰色の岩石。
【所在地】天草市倉岳町
【天草誕生のストーリー】第4章
こがくらかんのんの写真

(48)小ヶ倉観音(こがくらかんのん)

(※)安山岩質(あんざんがんしつ)の(※)貫入岩(かんにゅうがん)が教良木層(きょうらぎそう)の(※)黒色頁岩(こくしょくけつがん)に貫入している現象が観察されます。この貫入岩の板状に割れた面に彫られた四文字の(※)梵字(ぼんじ)は、天草最古の1487年のものです。境内付近では貫入岩がつくりだした段差が滝となっており、信者が滝行を行っています。 ※安山岩:地表に出てきたマグマが冷え固まった岩石のひとつ。灰色の岩石。
※貫入岩:もともとあった岩石や地層に、地下からマグマが貫入して冷え固まったもの。
※黒色頁岩:堆積した面に沿って薄く割れやすい性質をもった泥岩のこと。
【所在地】天草市栖本町
【天草誕生のストーリー】第3章
べんざいてんさまの写真

(49)弁財天さま(べんざいてんさま)

国道266号線沿いを行くと、海側に鳥居がある小島があります。この小島の頂上に弁財天が祀られています。この地形は、約5,000万年前から4,500万年前に堆積したと考えられる教良木層(きょうらぎそう)の砂岩が、侵食に耐えて残ったものです。
【所在地】天草市栖本町
【天草誕生のストーリー】第2章
しもだおんせんの写真

(50)下田温泉(しもだおんせん)

下田温泉は掘削250メートルのさく泉で、ph7.84、泉温51.3℃のナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉です。温泉の湧出機構は、この地域の断層と地下の地層にある下田背斜(はいしゃ)と呼ばれる構造に密接な関係があるようです。温泉発見にまつわる伝承から「白鷺温泉」の別名もあります。
【所在地】天草市天草町
【天草誕生のストーリー】第4章
みやじうらわんのしきりあみの写真

(51)宮地浦湾の仕切り網(みやじうらわんのしきりあみ)

大きな干満の差を利用し、湾口の長さ約400mに高さ4mの網を張り、高潮時に湾に入り、干潮時に網の中に閉じ込められた魚を捕獲する伝統漁法の「仕切り網漁」が行われています。
【所在地】天草市新和町
【天草誕生のストーリー】第4章
ごりょうぎょうかいがんのふうかちけいとせきぶつぐんの写真

(52)御領凝灰岩の風化地形と石仏群(ごりょうぎょうかいがんのふうかちけいとせきぶつぐん)

風化侵食によってできた横壁の窪地地形を、地元の人々は「大蛇が通った跡」として、窪地に石仏100体を安置しました。地層に生じた自然の造形を、神聖な信仰の場としたいにしえの人々の息吹を感じるスポットです。
【所在地】天草市五和町
【天草誕生のストーリー】第3章
しきたんこうあとのだいざの写真

(53)志岐炭鉱跡の台座(しきたんこうあとのだいざ)

天草地域最大規模の炭鉱として、明治中ごろから昭和50年まで採炭されていました。炭鉱地から港までの石炭運搬用として走っていた機関車は、天草で唯一の鉄道でした。この台座は、かつての久恒(ひさつね)鉱業志岐炭鉱入場門の安全祈願鐘の土台です。
【所在地】天草郡苓北町
【天草誕生のストーリー】第2章
あまくさとうせきさいせきあとのろとうの写真

(54)天草陶石採石跡の露頭(天草陶石採石跡の露頭)

天草西海岸で採石される陶石は、品質・埋蔵量ともに日本一と言われています。(※)中新世のマグマ活動によって、(※)流紋岩(りゅうもんがん)が陶石化してできた岩石です。有田焼など、県外の焼き物産地に時期の材料として出荷されています。 ※中新世:約2,300万年前~533万年前までの地質時代のこと。
※流紋岩:マグマが地表付近で冷え固まった岩石のひとつ。白色の岩石。
【所在地】天草郡苓北町
【天草誕生のストーリー】第3章


■石工の里・下浦町

しもうらいしの写真
天草市下浦町は、下浦石(しもうらいし)と呼ばれる石材の産地。ここでは江戸時代から石工文化が盛んでした。下浦の石工たちは天草市の石橋はもちろん、長崎オランダ坂の石畳など県外でも活躍しました。


■ 天草陶石は質、量ともに日本一

あまくさとうせきの写真
天草西海岸地域で掘り出される陶石は、品質、埋蔵量ともに日本一といわれています。国内生産の半数以上を占め、有田焼などの県外の焼き物産地に出荷されています。強度が強く、焼き上がりは濁りのない透き通った美しい色に仕上がるのが特徴です。江戸時代の発明家、平賀源内が「天下無双の良品」と絶賛したと伝えられています。


■ 良質な石炭が産出されていた天草

せきたんの写真
天草全域には炭層を含む(※)夾炭層(きょうたんそう)が広く分布していることから、明治期を中心に炭鉱が主要産業として盛んに行われていました。天草で採掘される石炭は良質な無煙炭(むえんたん)だったため、大変重宝されていたといいます。
※夾炭層:石炭の層をはさむ堆積層のこと。植物由来の炭が濃集する環境が地層に残されたもの。